My Soshin Story

中学3年 R.O.さん2018.1東北修学旅行報告礼拝

昨年秋、中学3年生は50年以上続いた最後の東北修学旅行に行きました。最近では、その中に陸前高田と大槌町での震災学習を取り入れていて、その報告を兼ねた全校礼拝が行われています。今年度も先週全校礼拝を守りました。そこでのお話をご紹介します。

 

聖書:マタイによる福音書7章7節~8節 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」

 

震災学習の日の朝、少し気が重かったのを覚えています。「たくさんの方々が、亡くなった場所へ行って被災者の方の気持ちを理解することなんてできるのか。」「震災当時のことを思い出し、不快な思いになってしまうのではないか。」などと、考えていました。心のどこかで、行きたくないと思ってしまう自分がいました。

私たちは、2つのコースに分かれ、私は岩手県大槌町に行きました。 私は、周りを見て言葉を失いました。夢か現実かを疑いました。突然の痛みと悲しみにあふれたあの日、何もかもが違ったあの日から約6年半が経ちました。そんな長い時間が経ち、私はお店、畑、そして家があるという普段の私たちと変わらない生活を送っていると想像していました。ところが、私が目の当りにしたのは、山になっている土、クレーン車、数軒の建物でした。このような光景を見て、まだこんな感じなんだと、驚きました。この6年の間にたくさんの苦しみがあったのだと光景が物語っていました。

ガイドさんの話では、テレビでは、伝えきれないようなことばかりを聞きました。私たちから見た津波は青い海が迫りくるイメージですが、被災者の方々は、黒い壁が迫りくるイメージとおっしゃっていました。また、大槌町の方々は、とても仲が良く、すれ違う人々のほとんどが知り合いだったそうです。いち早く非難をし、高台から津波を見ていた方は、知り合いが流されているのを目の前で見てしまったということです。津波は、物や人の命を奪いました。ですが、それだけでなく、卒業式を行い、新たな道にすすもうと希望を抱いている人、この年に生まれて輝く未来が待っていた赤ちゃん、その方々の希望や光までも奪ったように思います。どれほど津波が恐ろしいのか私には想像ができません。

ワークショップでは、こんな質問をされました。「みなさんは、今、津波からのがれ、生き残っている人間だとします。」「そして、救助隊としてひとを助けようとしている立場です。今、目の前にお母さんと子どもがいます。今、助ければ命を助けることができるお母さんと、助かるかどうかわからない子供です。」このとき、お母さんは、私たちに「子ども助けてほしい」と必死にお願いをします。しかし、2人を同時に助けることはできません。みなさんなら、どちらを助けますか。大槌町の人は、実際に選択をせまられたのです。この質問は正解などありません。命の重さに差はないからです。

このようなワークショップを行った後、大槌町全体を見渡せる展望台へと移動しました。展望台から見た町は、言葉に表せられない、心がしめつけられる風景でした。空気が澄んでいて自然豊かな町にあの黒い壁と言われる津波が来たとは想像できませんでした。私は目をつぶり、自分の生活を思い出してみました。家では、家族と話をしたり、ごはんを食べたり、たまに兄や妹とケンカをしたり。学校では友人と楽しく授業や部活を過ごしています。私は、あまり何も考えずに毎日、ほのぼのと生活してきたように思いました。私が、当たり前だと思っていたことは、本当はとても幸せだと、気づきました。テレビでは、伝わらない悲しみ、絶望の中、賢明に励まし合い光を掴もうと、ただただ前を向いている方々から学ぶことがたくさんありました。

あの日に亡くなってしまった方々のためにも、私は、今を一所懸命に生きようと思います。

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